■自分の人生の半分を共に 午前4:00、様子を見たらもう呼吸をしていなかった。
ほとんど鳴かない大人しい子だったが、AM1あたりに少し鳴いてた。
苦しかったのだろうか。 別れの挨拶のつもりだったのだろうか。
決して忘れるつもりも無いんだけど、でも、それでも念のため、
いつか忘れてしまうのかと思うと書き残しておきたい。
(注意)
読んでる人もそういないと思うけど、今回は特に読まないでいいよ。
名前はそら、ゴールデンレトリーバ。13歳と10ヶ月。
計算するってのがどうかと思うけど自分の50%だった。
その何割ってのに意味があるとは思えないけどね!
自分が中学生の頃から、ずっと一緒に過ごしてきた。
当時は犬がなんとなく苦手だったので、飼うことに唯一反対したのが自分、はず。
でも、頭が良い子だったし、とことん可愛くてそんなの忘れた。
音楽の教科書(なぜか表紙だけ)をかじったのは何故だったんだろう。
でも物に乱暴したのもその一度っきり、むしろ自分のほうが散らかして、
あの子の進路妨害をしまくってた気がする。それでもベッドに上がってきたり。
冬場は隠れ場のつもりなのかベッドに上がって丸まってた。
夏場は本当につらそうだった、玄関が一番涼しいのかグッタリしてた。
遊ぶのもそれなりに好きだったな、昔は遊ぼうと噛み付いた際に加減できずに怒られてた。
年を重ねると、遊びたい気持ちはそのままに甘噛みしてた、器用だった。
散歩も好きで時間が近付くとひたすら催促してたな、外でも引っ張るし。
特に自分は子分扱いなのか、先導したがってた、ように見えた。
食べることも大好きで、10歳を越えた後は特に凄かった。
自分たちの食事中は椅子の横に座って、乱暴にお手、爪が鋭い。
ひたすらビスケットを要求してたなぁ、満足するラインがよくわからなかったなぁ…
暑そうな毛皮で、夏はつらそうだったけど、撫でる側としてはとても気持ち良かった。
一回お腹の手術をしたときはそこだけ肌が露出してて可哀想だったっけ。
スーツにゴールデンな長い毛がついて大変だったなぁ。毎日コロコロかけてた。
家族の一員として欠かせない存在で、妹が出来たようだった。ふつうに弟もいるけど。
自分は本当に涙脆い、祖父のときもそうだったなぁ… とにかく涙を流した。
ゲームしたりして気を紛らわせてると大丈夫なんだけど、
こう書くために、思い出すとすぐに涙がこぼれる。
もっともっと、ずっと生きていて欲しかったと思う気持ちはある。
永遠なんて、不老不死なんてあるわけないし、むしろ自分も死ぬだろうし。
それでも、もっと一緒にいたかった。 もっと撫で回してあげたかった。
後悔する気持ちも無くは無い、でもとにかく喪失感が物凄い。
火葬してあげてお骨になって家に帰ってきたけど、それでもつらい。
自分はペットロス症候群になる素質あるな、と思ってたけど…
自分はこれからも仕事、頑張れるのかな。 強くありたい。
死後の世界とかよくわからないし、無宗教を気取ってるけど、
天国っぽい場所で、祖父にお世話してもらってね。
ありがとう、楽しかったね、さようなら。
いつまでも、決して忘れない!